metaphorium

面白いと思った本(主に小説)の書評を書いていきます。

【書評】孤独を抱えた人たちの、不器用な恋愛が、せつない『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子

本作品では、年齢も境遇も違う、各々に寂しい想いを抱えた二人の人物の恋愛が、繊細な言葉選びとリズムを持った文体で描かれている。とても美しく、何度も読み返したくなる小説だ。

 

語り手である入江冬子は34歳の独身女性で、フリーランス校閲の仕事をしている。冬子はあまりこだわりや趣味もなく、優柔不断で、恋人もいない、俗に言う「冴えない」女性だ。唯一の変わったところがあるとすれば、誕生日の夜、一人で真夜中の夜に散歩をする、という決まり事を持っていることぐらいだ。

 

 “枯れて白くなった草がかろうじてこびりついてるだけのどこかの玄関さきの鉢植えや、錆びついた自転車の前かごに置き去りにされた空き缶やペットボトルやビニル袋。そこには、わたしにだけわかるようなひそやかな意味がそっと隠されているように思えた。

 そんなひとつひとつを丁寧に目に映しながらわたしは歩き、みつめるものの数がふえるたびに、胸のあたりで小さな音が鳴るようだった。夜の光だけが、わたしの誕生日をひそかに祝ってくれているような、そんな気がしたのだ。

 それから毎年、誕生日の夜に、わたしは散歩にでるようになった。“

 

そんな冬子が、ある日、新宿のカルチャーセンターで物理の教師である初老の男性、三束と出会う。この出会いをきっかけに冬子は三束に惹かれていく。

 

冬子と三束の関係は一般的に連想される「恋愛」とは少し違っているように見える。例えば、冬子は、三束にあうとき、いつも何かを質問する。その問いに対して、三束は丁寧に答える。また逆に、三束が冬子に冬子自身のことを問う。冬子はぎこちないなくもそれに答える。そのような、不器用だが、素朴で、どこかほっとするような会話がずっと二人の間で繰り返されるのだ。それは少し風変りではあるものの幸せな関係であり、そんな関係を続けるなかで、冬子は三束への想いを募らせていく。

 

しかし、冬子と三束の幸せな関係というのは絶妙なバランスで成立していて、何かの拍子に夢のように儚くも消えてしまうものに他ならない。二人の関係が終わりを迎えたとき、切ない気持ちで胸が痛くなった。それでも、恋愛と全く縁がなかった冬子が恋心を自覚し、不器用ながらも今までの自分を変えていく姿は、健気で愛しく、勇気を与えてくれた。

 

講談社文庫の帯には「芥川賞作家が渾身で描く、究極の恋愛」と書かれていて、この小説に描かれているものが「究極の恋愛」なのかどうか僕にはわからないけれど、恋愛小説なんて……と思った人にこそ読んでほしいと思っている一冊だ。